京都国立博物館のお隣は三十三間堂なので、2時前には美術展を終わり、これならしばし体力は持ちそうと安心して足を運ぶ。
この時期団体客は皆無で、出会った人は10名以下と閑散とした堂内を見て回る。
仏像1000体と圧倒される光景はいつになっても驚かされるのだが、改めて質の高い文化財の宝庫・京都の凄さがこのお堂に象徴されるのであろう。
ここから目と鼻の先にある養源院に行ったのは俵屋宗達の板絵に対面したかったからである。
今でこそそれなりに有名となったが、有名寺院の傍にある小さなお寺に行く人も少なかった。
もう40年近くも前であろうか、住職さんがとても律儀に説明してくれたのが印象に残っていた。
江戸時代の絵画とは思えない2匹のゾウの板絵は入り口のすぐ目の前に堂々と飾られていた。
そして堂内にはゾウに対峙するように唐獅子の板絵も懐かしく拝観できる。
受け付けの女性の方に昔伺ったときの話をしたら、それは私の父の時でしょうかとお答えされた。
雑談の中でこれからこの養源院の裏手にある智積院に行きたいのだが話すと、息子さんがわざわざ裏木戸を開けて案内までされた。
智積院は長谷川等伯一門の絢爛たる襖絵が有名で、上野の国立博物館での特別展以来の10年ぶりの対面でもあった。
その障壁画はお寺の宝物館に揃って飾られていたが、文化財保護に観点から照明が低く抑えられていて、残念ながら桃山時代の絢爛豪華さは感じられなかった。
正直美術展にて引き立つような照明がなされない昔の障壁画はただただ古びた
絵画としか思えないことに残念な気がした。
(昔はもう少し照明がきちんとされていたと思う)
このお寺の見どころは東山からの傾斜をうまく使った庭園で、ツツジなどの低い木々を並べた佇まいには昔から高い評価が与えられている。
寺院の縁側とその奥の畳敷きの広間でしばしボォ〜とその庭を眺めていた。
しばし時間がたったころ、同じように寝転んでいた二人の若者にふと声をかけ、何を想うかとはなしを切り出した。
するとその若者は大学卒業を控え、就職先も一応内定していたのだが果たしてこのまま世の中に出て行って良いものかを考え直して、今しばし目的の無い旅をしていると話すのだった。
思わず先の生き方など自分で決められるものではなく、また望みが叶えられることもある意味偶然のなせる業かも知れないと自身の経験を話した。
そして、最後にこれから多くの人の話す話を全部正しいと思いながら、聞き続けることを願うと締めてその場を後にした。
良いことをお聴きしましたと語るこの若者たちが、何らかのヒントを得られるのであればうれしい限りである。
智積院の庭園にて
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